「Ueda-cho」って何?
とりあえず、置いといて、
Perfumeが福山先輩の人気ラジオに初出演(ナタリー) http://natalie.mu/news/show/id/4031
とうとう事務所の大御所「福山雅治」にたどり着きましたね。
Perfumeが奇跡を起こすまで待つ事が出来たアミューズの体力。それは福山雅治とサザン(桑田)の稼ぎによるものです。3人とも失礼の無い様にね。それとファンのみんなも福山雅治に礼を言おう。
「福山さん、稼いでくれて有難うございます。」
そう言えば、「あんた福山雅治の嫁になりなさい」と母親に言われている西脇さんが福山雅治とどう絡むか注目ですね。それと、樫野さんは写真家でもある福山雅治からアドバイスを得られると良いね。
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で、本日の本題に入る。
写真家でもある福山雅治。彼が写真家として影響を受けた人物の名前は福山雅治ファンなら知っていると思う。私はどちらかと言うと福山ファンではなく、「その人物」のファンである。
その人物とは「植田正治(1913 - 2000)」である。生まれ故郷の鳥取を拠点に活躍した、日本を代表する写真作家だ。
今日は音楽の話題から離れて、私の好きな写真家「植田正治」を紹介したい。
植田正治の作品でよく知られているのは、鳥取の砂丘を舞台にした演出写真だ。私が植田正治に興味を持ち、同時に多くの影響を受けたのもその砂丘の作品群である。最初に目にしたのは1983年頃。BIGIのカタログか広告写真だったと思う。砂丘の上で繰り広げられるモード写真で、奇抜な人物配置や構図の面白さと、独自の味わいを持つモノトーンの世界に魅了された。
砂丘モード (1983) |
砂丘モード (1983) |
その後、植田正治の過去の作品をチェックしながら衝撃を受けた。それは、1940年(昭和15年)の時点で、80年代に撮られた作品に通じる、その奇抜で極めてモダンな構図の写真を作品として発表していたという事だ。
少女四態 (1939) |
植田正治の砂丘を題材にした作品群で私が一番好きなのは、終戦後の安堵感が現れている昭和20年代の作品。モダンかつポップ。
さて、このエントリのタイトル「Ueda-cho」とは「植田調」の事。フランスでは植田正治の作風を指す言葉として用いられている。
ちなみに、海外の雑誌での植田正治の紹介記事に「人里を遠く離れた砂丘の片隅にアトリエを構えて、モードを撮っている。」とされたそうだ。植田正治自身は鳥取県境港市でカメラ屋を経営し、「街の写真屋のオヤジさん」 が生業だった。作家活動においては完全なアマチュアリズムを貫いた人でもある。そのあたりも、植田正治に憧れた要因だった。
最近は写真を全く撮っていないが、植田正治に憧れていた当時はカメラを持って頻繁に新潟の海岸へ足を運んだ。新潟は鳥取と同様に海岸線に沿って砂丘地が広がる地域があるため、砂丘を舞台にして写真を撮る事が出来た。
ちなみに、以前のエントリ「Seventh Heaven」:Perfumeの冒頭のショートストーリーの書き出し部分は、その当時の思い出を基にしたフィクション(?)です。
よし、Perfumeから福山雅治を経由して植田正治へ行って、Perfumeに帰ってきたぞ。
植田正治写真美術館
http://www.japro.com/ueda/
HOMAGE ─オマージュ・植田正治に捧ぐ─
〈福山雅治・菊池武夫・堀内誠一〉
http://www.houki-town.jp/p/ueda/contents/homage/1/
(BGM : SEVENTH HEAVEN [Original Instrumental] : Perfume)
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困った事にPerfume成分が多目です。彼女達の親御さんとは間違いなく同世代です。ちなみにP.T.A.会員です。
ホントに御免なさい。
御用命は「lstd_rd の yahoo.co.jp」まで。