今回は音楽の話題から外れます。
私がネット上にサイトを開設してから10年が経ちました。当初の目的は、このブログの様にくだらない独り言を垂れ流す事ではなく、自分の作品を世に問うための場所でした。あっ、世に問うたのか?と問われると微妙ですね。作品の感想メールは数えるほどしか来ていないし、ギャラリーページを気に入ってもらって相互リンクを貼ったサイトもほんの僅かです。
結果から言えば、失敗ですね。
私の展示している作品は写真です。と言ってもかなりデジタル加工を施してあるので、CGと呼んだ方が良いかもしれません。
写真には2つの工程があります。一つは被写体を記録する事。そしてもう一つは記録したデータを基にして、目に見える形に再現する事です。銀塩フィルムを使うのであれば、被写体をフィルムに収めて、その後印画紙にプリントする事。デジタルであれば被写体をデジタルデータとして記録して、その後PC上で目に見える形に変換してプリントアウトする事ですね。要するに「撮影」と「プリントワーク」です。撮影行為を「作曲」、プリントワークを「演奏」に喩えた人が居ましたが、言い得て妙だと思いますね。
どちらも「写真」という表現を実践する上で欠かせない行為です。(*1) どちらに重きを置くかは作家それぞれで考え方が異なると思いますが、私の場合は撮影という行為よりも暗室に篭って印画紙に画像を焼き付ける事が好きでした。なので、初めてMacとAdobe Photoshopを手に入れた時は「光かぶりと酢酸の匂いと夏の暑さから開放された快適な暗室を手に入れた」という喜びで本当に興奮しましたね。それ以来は過去に撮り溜めたフィルムをスキャンしてPhotoshopで加工し、プリントアウトするというスタイルが私の表現方法になりました。
しかし、作品を作る事は相当のエネルギーを消費します。もともとが、ほんの少しの創造の種しか持ち合わせていないので、それを枯れないように大事に育ててようやく小さな実を結んだのが私の作品達なので、1年のうちに数点しか生み出すことが出来ません。もう、いっぱいいっぱいで、本当に魂を削りながらやっていましたから、完成した後は達成感というよりは虚脱感が先に来る感じです。
ってか、何でそこまでして作品を作りつづけていたんだろうね。
ウチの嫁は私の作品の最大の批評家でもあるのですが、彼女曰く、
「あんたの作品には、夢も希望も感じられない。あるのは絶望感だけ。観ていて気持ち悪くなる。本当に暗い。」
流石だ。上手い事言うわ。
ダークサイドへ陥りたいという方はこちらまで。居るわけ無いか、、。
At Seashore (link にも入れてあります)
「At Seashore」とは浜辺の風景のシリーズ作品群です。シリーズは'80,1999,2000,2001,2002,2004とありますので、年代を追って観賞していただくと良いと思います。作家が作品を生み出す事の苦痛に耐えながらもがき苦しみ、最後は完全に自分を見失ってしまう様子が見て取れると思います。
これらの作品は全て「LREX展」というアートイベントで展示したものです。実際にはA3サイズから最大で900mm * 300mmとさまざまで、カラープリンタで出力しています。一方、サイト上ではデジタルデータの解像度を落として、ネットワークを通してディスプレイ上で観賞できるように作り直しています。
実はAt SeashoreのシリーズにはBGMの指定があります。GOLDIEのアルバム「TIMELESS」を聴きながらご覧いただくと一層ダークな雰囲気を味わえると思います。(実際の展示会場でも「TIMELESS」をリピート再生していましたね。でもYouTubeではコレしか見つけられなかった。Innercity Life)
「At Seashore」以外のシリーズは特に指定はありません。お好きなBGMでお楽しみください。あっ、Perfumeは絶対合いませんからね。
注釈:
暗室に篭って印画紙に画像を焼き付ける作業が好きってのは「トライ&エラー」が出来るからなんですね。今思えば、被写体に真っ向から対峙できない臆病者にとって、完全に自分のペースで全てを運べる暗室作業に逃げ道を見つけたんだろうな。
撮影という行為は本当に撮影者のセンスと言うか人柄が現れる部分。一瞬のうちに構図を決めて自分のリズムでシャッターを押せる人って、自分から被写体に対して心を開くことが出来るからなんだと思います。そんな意味で、樫野有香さんはなかなか良い目を持っているな、と思いました。
ファクトリー・レコードの創設者 トニー・ウィルソン、死去
ニュー・オーダーが解散するだのしないだのと、そんな噂がネットを駆け巡っていたと思ったら、こんな訃報が届いた。
「ジョイ・ディヴィジョン、ニュー・オーダー、ハッピー・マンデーズらを輩出したファクトリー・レコードの創設者のひとり、トニー・ウィルソンが8月10日、心臓発作のため死去した。57歳だった。」(yahoo-news)
合掌。心よりご冥福をお祈りいたします。
クラブ「ハシエンダ」を中心としてマンチェスターが大騒ぎをしていた頃、私はソレとは全く接点の無い音楽生活をすごしていたので、商業的に大成功を収めた「ニュー・オーダー」しか名前を知りませんでした。
しかし、このオッサンが居なければニュー・オーダーもハッピー・マンデーズも世に出ていなかったし、オッサンの夢のアジトだったクラブ「ハシエンダ」が無ければケミカル・ブラザーズも誕生していなかったことでしょうね。
このオッサンと祭りの一部始終を描いた映画「24 HOUR PARTY PEOPLE」はマンチェスタームーブメントとは何だったのかを知る手がかりになりました。
さて、ここでニュー・オーダーのビデオを一つ貼っておこうかな。
何にしようかな。ニュー・オーダーと言えば、Blue MondayとかPerfect Kissだろう。いや待て、「24 HOUR PARTY PEOPLE」の流れなら Here To Stayじゃないのか?
いいえ、この”空から人が降ってくるPV” 「Bizarre Love Triangle」 がいちばん好きです。
さて、「ヒュー・へフナー」と「トニー・ウィルソン」の、どちらかの人生を体験できるとしたら、どちらを選ぶ?
たぶん、私はトニー・ウィルソン。大富豪になって絶世の美女に囲まれて余生を過ごすのも悪くない。でも、人生って「それなりに盛り上がったけど、結局上手く行かなかったなー。まあいいか。みんな楽しんでいたし。」ってくらいがちょうど良いと思う。プラスマイナス・ゼロの人生が自分に一番合っているな。
結局このオッサンって、お金の使い方を間違っているダメ人間なんだけど、本当に音楽が好きで好きでもう、、。
ってか、やっぱ祭り好きなのか?
まあ、それでよかったのだと思う。トニー・ウィルソンが音楽で儲けようとしていたら、途端につまらないモノしか出来なかっただろうし、マンチェスターのあの祭りもムーブメントではなくブームで終わっただろうね。
Francfranc presents space program
[EVER WHITE]
Compiled by DAISHI DANCE
最近、と言うよりは7月に入ってからヘビロテで、嫁の車で移動するときはiPODでアルバム固定状態です。(ちなみに私の車は今でもPerfumeがデフォ状態)
DAISHI DANCE自ら手がけたトラックの他に、今のシーンを語る上で気になる人達の名前がずらっと並んでいますね。
DAISHI DANCE 、STUDIO APARTMENT 、FreeTEMPO、MAKAI、quasimode。
何気にこれらの名前を前にした時に気付いたキーワードは「地方」。地方在住で地元を拠点にして活躍している人達が殆ど。
DAISHI DANCE は札幌、FreeTEMPOは仙台、MAKAIは福岡(? 現在は東京?)、そしてquasimodeをプロデュースしているSlowlyの小松正人さんは新潟です。小松さんとは過去に2回ほどイベント(*1)で一緒になったことがあります。
音楽製作の手法がスタジオに篭って録音する方法から、音源をネットでやり取りをしてデスクトップで楽曲を構成できるようになってからは、何処に居たとしても創作活動が出来るということでしょうか。地元でも十分仕事はできる。尊敬すべきローカリズム。
午後のティータイムにも、深夜にお酒を飲みながらでも、リラックスしたい時にすんなりと入ってくる音の数々。
基本的にダンスミュージックなんだけど、ダンスを強要しない、「放って置いてくれる優しさ」が心地良いと思います。Deep Houseは私にとってリラクゼーションのための音楽ですね。
ちなみに、こんだけ注目のクリエイターを持ち上げておいて、一番気に入っているのが「My Life(Original Classic Vocal)/HARDSOUL feat.Ron Carroll」だって事は、ここだけの話。
注釈:
(*1)ちょっと自慢話が入りますが、VJやっていて一番良かったのは、トップDJ達のプレイに間近に触れられること。小松さんとは私的な接点は無かったのですが、渋めの大人な選曲はカッコよかったですね。風貌は怖いですけどね(笑)。
特にここで紹介しておきたいのは、「新潟フォーマットで南青山でクラブイベントを」です。たしか2001年の事です。
南青山にImmigrant's Cafeと言うレストランがあって、そのお店の本店は新潟にあります。私は本店の店内ビデオを製作させてもらいました。Immigrant's Cafeの内装を手がけている建築家とはアートイベント仲間で、彼の発案でImmigrant's Cafe青山店でアートの展示とクラブイベントを融合したラウンジパーティを企画したのですね。
東京のパーティをパッケージまるごと地方で開催ってのはよくあるけど、その逆はどうなんだと。そこで、私たちが得意としていた「アートラウンジ」っていうフォーマットをそのまま東京に持ち込んだと言うわけです。
私はイベントのVJをやらせてもらいました。その時のDJは新潟から小松正人とMORIOKA、ゲストDJは東京からKenji Hasegawa (gallery)、VJは私と、東京からは今は解散したのかなDELTA GRAPHICSの東京チームが参加しました。今思えばスゴイメンツでイベントをやっていたんだなあとビックリしますね。
あれから、小松正人さんはSlowlyとしてFlowerRecordsからアルバムリリース、そして前述のquasimodeのプロデュースと大活躍。MORIOKAさんはM.O.KとしてFlowerRecordsからの音源リリースだけではなく、iTMSで自身の楽曲「FLY」がダンスミュージックのカテゴリでダウンロードランキング1位を獲得するなど凄い事になっていました。モリオカさん、新潟の居酒屋で子供の頃のくだらない思い出話で盛り上がっていたあの頃、今の状況を想像できた? 今度久しぶりにイベント行くさねぇ。
いやあ、これからも新潟で頑張ってほしいです。
髪を黒髪のストレートに戻し、ギャルからアイドルへ。
ただ、女の子って意外としたたかだからね。TRANCE歌姫もアイドル路線もデビューするための手段にしか思っていなかったりして。全てのことは計算ずくで、明確なビジョンの基で、今は彼女自身のすっごいプランを実行している段階だとしたら、黒Aira風で面白いな。
いずれにしても、彼女が一番輝いていたのは「MEGA TRANCE 歌姫オーディションの最終審査」でしたって事の無い様に、ガンガレ。
さて、伊達に40数年も生きていると、色んな発見があるね。
Aira Mitsukiのデビュー曲「カラフル・トーキョー・サウンズ・NO9」。一部を試聴したのみなので、評価はできない。しかし、タイトルの「トーキョー」はどうなんだろう。いまどき「東京」という単語にそれほどキラキラ感が有ると思えない。これはピチカートが得意だった「東京」が憧れの対象だった昭和期へのオマージュ、と言うよりも、レトロフューチャーな世界感がテーマなのだろうと思った。で、そんな見方で彼女が手にしたラジオを見ると、、、。
今から35年前だよ。
PerfumeもAira Mitsukiも、彼女たちのファンも、まだこの世に生を受けていないその時。テクノポップ・アイコンになろうとしている彼女が手にしているそのラジオから、私はスティービーワンダーの「迷信」を聴き、言葉に言い表せない心の振るえを感じていたのだよ。
そう、私が小学生の頃に洋楽を聴き漁っていたトランジスタラジオとそっくりで、すごくビックリしたのでした。
気になるなあ。本物かなあ。それとも、デザインを模造した最近の物かなあ。まあ、どうでも良いですね。
さて、徳間のサイトで「ポリリズム」のジャケ写と詳細が発表になっています。
ジャケ写、美しいですね。ステキ。
<収録曲>
01. ポリリズム
02. SEVENTH HEAVEN
03. ポリリズム -extra short edit-
04. ポリリズム~Original Instrumental~
05. SEVENTH HEAVEN ~Original Instrumental~
カップリングの曲も気になりますが、ポリリズムの -extra short edit- ってなんだろ?
チョコレイト・ディスコの中田Remixみたいなヤツだったら、「ふざけるな」だな。
前後を多めに取ってロングミックスできるような、ちゃんとフロア対応できるようなRemixがほしい、、。
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困った事にPerfume成分が多目です。彼女達の親御さんとは間違いなく同世代です。ちなみにP.T.A.会員です。
ホントに御免なさい。
御用命は「lstd_rd の yahoo.co.jp」まで。